フォーカシングという心理療法で抑圧した感情の開放の方法を綴っています
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    エゴの存在と本質
    ここ最近、心境の変化が著しいです。最後までひつこくこびりついていた、エゴの概念がほぼ消失してきました。そして、その代わりに「自己一致」して、本当の自由を感じて、今ここを感じることが自然になってきました。

    さて、このブログでは、感情の開放(神経症の治療)とその過程でおきた不思議現象を書いてきましたが、特にこの”不思議現象”に関する部分は今思えば間違いが多いんですね(;´Д`) そのひとつが、以前の記事に書いた”くそまじめな私の本質”です。特に過去世で修道女で、魂の名前やら、「お母様と呼びなさい」やら、私に従うように、といろいろ”命令”してきました。この記事をUPした後に、「それは良くない存在と交信しているのでは?」というコメントをいくつか頂きました。

    で、私はこのブログの内容ではありますが、割とスピリチュアルアレルギーではあります。なので、悪しき闇の存在がチャネリング相手で、自分を翻弄しているという考えは「自身のエゴ」が原因である、とお返事しています。今も私はそのように考えていて、「外部の抗えない何かが自身の運命を弄ぶ」という考えは間違いだと思っています。

    上記の、「クソまじめなハイアーセルフ」の正体が、観念を手放すにつれて(というかここ2~3日)、顕になってきました。いわゆるエゴの雛形というか、子供の自己という感じです。これでは訳がわからないと思うので、順を追って書いていきますね。

    まず、昨年の7月にいきなり「守護霊となのる存在」と「上の私となのる存在」が話しかけてきました。で、特に「上の私」が話しかけてくると、目がカッと見開くんです。で、いろいろと感情の開放を手伝ってくれていた。

    不思議だったのは、感情を開放すると、「ありがとう」という声が聞こえたり、インナーチャイルドと思われる存在が「ヤッタ!ヤッタ!」といいながら出てきたりしました。なんというか「えっ?これは何?」みたいな現象で、ただの心理ワークなのに、やたらと不思議現象が起きるんですよ(;・∀・)

    この妙な現象は、「エゴの雛形」がやっていたんです。ただ、”ハイアーセルフ”の部分が感情の開放を手伝っていたのは本当です。普段の”私”と繋がっていないので、別物に感じてしまうんですが。。。たとえば、体が勝手に、ユル体操のような動きをしはじめてから、体のコリが全身に出てきました。これは凝り固まった体をほぐしていたんですね。あとは、自分の信条のような言葉が降りてきました。あるがままに生きる、人の役にたつ、楽しむ、子ども心などなど。

    ついでに以前の記事に邪気について書きましたが、あれは全て、その当時に抑圧した感情が原因で出来た「自身を攻撃するインナーチャイルド」です。まあ、マインドトークをしているのは、こいつらなんです。正体は傷ついた、性質の悪い餓鬼です。文字通りの「餓鬼」であり、エゴの概念を形成しているので、貪欲に「求め」ます。

    で、このエゴの雛形は、この餓鬼が出来る発端になった、原初のエゴのようです。つまりはかなり我が薄い、その分”抑圧した感情である”とは見分けづらい。

    印象としては、わがままな赤ん坊です。この子が、必死に幸せになりたくて、感情の開放をしていた。それもね、「ハイアーセルフ」と名乗って。まあ、エゴの存在(インナーチャイルド)のいたずら的な行為であり、感情の開放には役立ちはしませんでした。

    具体的にどんなことを、やらかしていたかというと、自分が上の存在と見せかけて、命令口調で感情の開放のやり方を指図してくるわけです。それを無視すると拗ねる。

    まあ、こんなものに騙されていたわけです。おかしいと気づいたのは、やはり態度が相手に「求める」態度ばかりだからです。こちらの感情を無視して、自分の気持ちを押し付けてくる。赤ちゃんです。

    先日のツインソウル現象でのぼせ上がっていたのも、この”性格”であり、今回のTさんの件にしても、「彼のいうことは何でも聞いて」と言ってきたので、「ああ、こいつはおかしい」と気づいたわけで(;・∀・)

    実は、感情の開放を始めてから、かなりの”ステータス異常”の状態であります。これは、肉体の方にも、過去の抑圧した感情が「体の凝り」として、出てきているし、感情の流れも不自然な状態が続いていました。

    これは感情の開放は地獄を見ると表現してきましたが、昨年のちょうど今頃がその地獄のピークであり、感情を抑圧しておいたほうが良かったと思うほど。。。 感情がカオス状態で、正常な精神機能が損なわれていました。感情障害のような症状です。また激しいマインドトークで、正気を失いそうなほど苦しみました。

    それが徐々に沈静化してきていて、ようやく大きく沈静化したのが今年の4月。それでもひつこく残るエゴの感情と、体の有り得ないほど酷いコリと戦いつつ、それでも確実に良くなっている感をもち現在に至る感じです。

    そして、このブログに最近よく登場する「ハイアーセルフ」という単語。この「エゴの雛形の存在」が名乗っていたソレではなく、4月以降に特に頻繁になった”閃き”をする”私”がようやく顕在化してきました。これがハイアーセルフだと私は思います。これは普段の性格にも出ている”良心”です。そして、それに”意識の焦点”があうと、自己一致感と地に足がついた感覚がします。

    で、何度も書いていますが「守護霊的な何か」ではなく、あくまで自分自身です。エゴに埋もれて「意識の焦点」が合っていなかった。どんな性格の私が出てきたかというと、本当の意味で自分本位、自分をとても大切にする私です。決して自分を蔑ろにすることなく受容できる態度。自己受容が出来ると、他者受容も出来るんです。そうすると生き易くなる。

    そして、これの神がかりな部分!これは、4月以降に起きている、すごい閃き、気づきが出来るのが、この”私”なんですね。これを”エゴの私”から見たら、神がかりに見える。ただ、”ハイアーセルフ”である私に焦点が合えば、泉を汲むように閃き、また、意図したことが現実になることの確信が当たり前にできる。源に繋がっていることが実感できます。まだこの、自己の部分とエゴの私の間を行ったり来たりしている状態ですが、ここの部分に触れることが、所謂「悟り」であると確信しています。

    また、エンパスの能力。これもおもしろいことに、意識の奥底(体感すると、胸の真ん中と後頭部)から、たくさんの人がいる気配、それもとても楽しそうな気配を感じるんです。そして、何かを喋っている。この声を、はっきり聞くことは出来なくて、”思考”と”感情”として、流れ込んでくるんですが、これが所謂「チャネリング」なんだと思います。で、私がはっきり声が聞こえないのと同じく、大多数の皆さんも意識の表にあげることは、難しいんだと思います。ただ表層意識が寝静まっている時(寝起きなど)はアクセスしやすいと思います。つまりは誰にもある力です。

    まあ、このようにまだ目まぐるしく変化している最中ではありますが、皆さんの参考になるように経過をつづって行きたいと思っています。
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    エゴに無関心な態度
    ディーパック・チョプラ氏の富と成功をもたらす7つの法則の中に、「純粋な可能性の場にアクセスするには沈黙を実践する」ということが書かれています。

    これは騒々しいマインドトークに対して、沈黙の態度をとるというものです。ある一定時間、「話す」のを止めること。テレビやネット、本などの「言葉」をシャットアウトする。マインドトークにも応じない。すると、最初は一時的にマインドトークがうるさくなるが、しばらくして沈静化する、というもの。こちらのサイト様に詳しく書いてあるので良かったら参考になさってみてください。

    私は初めて、この沈黙を実践したとき、マインドトークがずっと下らないことを言い続けていることに随分驚きました。そして、沈黙を続けていると「どうして無視するの!」と言って来るんですよ(;・∀・) これは所謂傷ついたフェルトセンスが言葉を発しているんです。

    ただ、このマインドトークに対しては沈黙(無関心でいること)するのが、エゴの観念の開放の早道です。うっかりカマってしまうと飲み込まれてしまいます。

    愛の反対は無関心、とマザー・テレサの言葉にありますが、このエゴに対してはその無関心を貫いてください。虚に愛を与えても、還って来るのは虚しかありません。エゴ自体が自己に対して無関心なんです。

    また、エゴに無関心な態度は、今まで蔑ろにされていた、自己に愛情を注ぐ態度です。私は感情の開放の最後の方で、エゴと自己の意識が分離した状態になりました。この時、エゴに散々責められて、自己の部分が常に怒りに晒されていた事を実感しました。これを放っておくとまた怒りが蓄積して、エゴは肥大化してしまいます(;´Д`)

    私の場合は、沈黙をすることで、エゴに対して、カタルシスを感じるほど、純粋な怒りが出ました。

    エゴに飲まれないためには、エゴに愛情を与えない、無関心を貫く。それが自己に愛情を注ぐ行為となり、大きな恩恵が還ってきますヽ(*´∀`)ノ
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    求めること
    「相手」に、求めることは、自分に決定権がないということです。求められた「相手」も要求に応えることは出来ません。対象に「求める」は、エネルギーを与えることではないんです。何を与えているかというと「虚」です。

    人の本質は、要求しません。でもエゴの擬似ゲームでは要求しなければいけないと言う幻想があります。すると、人からも要求されます。この要求は「他人」を作り出してしまいます。男性エネルギーと女性エネルギーの記事で書きましたが、エネルギー同士が、反発しあっている状態です。これが、「他人との壁」を作ります。

    見返りを求めても、与えなければ返ってきません。 虚を与えたら虚が還ります。そして、それは停滞になります。エネルギーの停滞は時間の停滞。こうなると時間を無駄にしているような、もどかしい状態を感じたり、時間の流れが遅く感じます。永遠にこの状態が続くような錯覚を起こします。また振り返ればあっという間に時間が過ぎているようにも感じます。同じような日常が繰り返されているという「不満」も感じます。

    エネルギーの停滞は、相手から発せられた要求が、「不満」となった時に残ります。その根っ子には、養育してくれた大人(両親など)の態度をコピーしてしまった赤ん坊の自分がいます。赤ん坊の自分は「命令されても出来ません」という恐怖、悲しみ、罪悪感を持ってしまいます。これは、大人が「愛情」を返すだけで解消してしまうことなんですね。

    エゴのゲームの中にいれば、全て虚しいままで終わってしまいます。これは、人、全ての存在は自身であるから、強制出来ないということになります。

    ただ、この虚は視点(心の在り方)を変えれば、流れていくんです。曰く受け入れることです。これは赤ちゃんの頃には出来なくても、今実行すれば、赤ちゃん時代の心の傷は癒されるんです。それは「赦すこと」です。

    受け入れることは、よく勘違いになってしまうのですが、気持ちを抑えて我慢してしまうことではないんです。基本は自分への「許可」です。自分の感情に全てOKを出していく。それが引いては自他共に赦すことになります。

    エゴは、二元論で判断して柔軟な思考が出来ません。想像+思考で、智慧が生きてきます。これは陰と陽のバランスと同じです。エゴは全ての状況を二元論で測っています。風船を膨らませるように、今というエネルギーを大きく迎えることで、エゴの囚われは回避できます。

    エゴの質の悪さは、それ自身が「悪意の塊」だからです。他人に、自分に要求し、神頼みし、思い通りにならないと怒ります。何かが、恩恵を与えてくれていても「嘘だろう」と疑います。自分の態度がいけないと、常に自身を責めてきます。

    聖人だろうが悪人だろうが、心の中は同じです。ここで必要なのは「気づき」です。人格というのは、その状態に対する癖、態度です。エゴというのは、自己一致がしていない状態です。エネルギーがブレているんです。

    人の本来の気質=エネルギーの有り様は、とても誇り高く、とても強いんです。

    私は、その気質を母親から美点として伸ばそうとされたので、抑えつけてしまいました。おしとやかで、すましている幼児だったんですよ(;・∀・) それがおっとりしてお嬢様のように見えたせいで、これに反発して抑えてしまいました。

    また、私は赤ちゃんの頃の感覚が蘇ったんですが、家族の顔を見て、「皆自分」だと思っていました。これは、エゴがある内は壁が出来てしまったから、分かれていると感じただけでした。壁をとっぱらえば、その状態に戻ります。

    また、その奥に、とてつもなく大人の自分がいて、親を見ていました。なんか「この態度はいかんな」みたく厳しい目で観ていました^^; これが所謂、守護霊さんの意識の部分なんでしょう。この大人な何かは当たりまえのように自分の意識でした。

    誰の心の中も、エゴから離れれば、このように同じなんです。そうすると「他人はない」という事が実感できます。
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    与えること
    エゴは自己責任という言葉を勘違いしています。自己責任とは「我慢すること。自分を犠牲にすること。自分を責めること」ではありません。「自由に対する責任」なんです。

    エゴは、自分を蔑ろにしています。何も出来なくて、見栄っ張りで、怖がりな癖に虚勢を張っている子どもです。その動きは全て不自然です。

    「他人に要求」しか出来ません。何かをして貰って当たり前。これがもう不自然なんです。こういう不自然な状態なので、本来のエネルギーが停滞します。逆に言うと停滞しているから、不自然なのですが。

    で、人の本質(命の本質)は、与えることだけなんです。感情の開放で自分を癒す時も、徹底的に自己受容する。与えてやると、「自分から」愛情が返ってくるんですね。

    私は感情が「ありがとう」と言って開放されると、過去の記事に書きましたが、これ「フェルトセンス」の会話と同じで、「対象化した自分」が言っていたんです。何となく感情エネルギーが喋るのかと不思議だったのですが^^;

    で、他人と言うのも全て「対象化した自分」です。自己(真我)の態度が自他の区別を付けないので、エゴ(自我)も実は「他者」の区別はつけられません。

    他人の嫌な面を見て、嫌悪する態度は「自分の嫌な面」そのものなんです。人(現象)は鏡で、自他の区別は付けられません。誰かを責めると言うことは、自分を責めていること。誰かに「要求する」のは自分に要求していること。

    ここで、責任の所在を考えてみました。現状が不満なのは、自分の責任です。自分の責任は育てた親の責任です。無力な子ども時代に親の馬鹿さに合わせていたから、エゴが肥大していった^^; その親を育てた先祖の責任であり、そうならざると得なかった社会の責任です。また、それを作り出している国家の責任です。どんどん大きくなる。

    では、最終的に、どこに責任を求めれば良いかというと、「自分」に戻ります。どんなに「不満」を他所にぶつけようと解消できません。それは「自分」の責任だからです。

    私は、全て「自己の責任」と考えた瞬間、とても自由を感じました。これは、「義務を果たす責任」ではなく、全てを創り出しているのは自分の責任という意味です。

    「他人」と認識したとたん、エゴになります。そして、コントロール出来ない「強大な何か」に感じます。これは状況も同様です。この強大な何かは「両親(それに代わる大人)」です。

    「他人のむかつく行為」をよく観察してみると分かります。全部、エゴが自己にしている行為です。それは「要求」です。

    どうして要求するかというと、ほぼ赤ちゃんの頃の満たされなかった「思い」が残っているだけなんです。エゴは子どもです。

    だから、エゴを癒すには、いっぱい愛して、愛して、愛してあげることしか出来ないんです。人は与えることしか出来ません。

    それは自分が楽しむことです。
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    エゴの罠
    依存という状態があります。快感におぼれて「我を忘れてしまう」という状態です。

    これは文字通り、我を忘れたいんです。だから「擬似悟り」を求めてる。本来、自分の無い状態が心地いいんです。生理現象は別で、快楽は「無駄なもの」なんです。

    依存で思いつくモノに、アルコールやタバコ、ギャンブルなどがあります。また、買い物、過食などもそうです。これらは楽しいんです。

    でも、無くて平気なものです。この無くて平気がスゴク重要です。「それが無ければ幸せじゃない」が依存状態です。真我(自己)は楽しいことが好きなんです。というと「依存するもの」は本末転倒になります。それが無くなった時に、強烈な不快感をもたらします。

    エゴはこの快楽に半端ない執着をします。これは真我が楽しいことが好きなのを歪曲して受け取っているからです。

    大前提は「楽しい」という感情です。これは、お金や買い物、食べ物の依存も同じです。成功や虚栄心も「褒め言葉依存症」です。これらが実態のない幻想で、掴めないから余計執着します。

    ですが、エゴは強烈に求めていながら、これを禁じてきます。「世間体」や「体に悪い」などの理由をつけて。

    これらは「エゴの罠」です。無意識にやっています。エゴは「バカ」なんです^^; この「バカ」は言い換えれば無明ということです。これは破壊のエネルギーです。

    そして依存は女性エネルギーです。女性エネルギーが必要なんです。「足りない」は女性エネルギー。つまり「安らぎ、愛情」が足りないという事です。

    誤解しないで頂きたいのが、「悪いものだから、やってはいけない」と思ってしまうことです。これも罠なんです。罰が欲しいんです(;・∀・)

    何故かと言うと、エネルギーが欲しいから。この苦しい状況を打破する「怒りのエネルギー」が欲しいんです。この怒りエネルギーが「エゴの苦しみ」を破壊する突破口になるからです。しかし、この怒りを抑えてしまうと、また、快楽を求めて「依存」します。

    これらは貪瞋癡の三毒です。

    よく考えれば、ループしています。同じところをグルグル回っています。

    ここで言う「エゴの罠」は真我が仕掛けているんです。つまり「エゴのある状況は辛いでしょ?気づけよ」と仕掛けていると言うことです。

    このように、真我は全体を観ています。エゴは観ることが出来ません。お釈迦さまの手の平で踊る孫悟空です。

    これは真我とエゴのデータベースの参照先が違うということです。エゴは溜まった感情 真我はアカシックレコードを参照しています。

    馬鹿げていませんか?同じところをグルグル回って、上に上がることが出来ません。こうした「エゴの罠」を見抜くとエゴはしぼんでいきます^^

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