フォーカシングという心理療法で抑圧した感情の開放の方法を綴っています
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    固定観念
    エゴは抑圧した感情から構成されていると書きました。これが様々な「固定観念」を作り上げ、それに基づいた「思考、思い癖」が出てきます。

    このエゴの観念から出てくる「思考」は、まあ、快いものではありません^^; 自縄自縛しています。これは抑圧した感情を伴った思考なので、抗えません(感情には抗えないんです)。 ですので、この観念に突き動かさてしまいます。

    すると、心の中が非常に狭い世界に感じてしまいます。何故かというと「制限」だらけだからです。世間の常識も制限です。本当はやってはいけないコトなど、何一つありません。全部、人が作り出したルールです。

    「他人の不幸は蜜の味」というのは、多かれ少なかれ殆どの人がそう感じてしまうようです。これは私の中にもありまして「どS観念」と名づけましたが、他人を責めたり他人が苦しんでいるのが「好き」なんです。

    で、逆の「どM観念」というのもありました。これは「楽しんじゃいけない」「わざわざ苦難の道を選ぶ」などなど。私の中には「女は男の人に従うべき」という古い日本女性のような観念あり、それに猛烈に反発している観念がありました。

    こんな風に矛盾しあった観念が、一方を抑えつけています。それが抑圧になります。ですが心の中はこうした矛盾した観念が乱立した状態です。

    それをエゴから出てくる「思考」でもって、無理矢理辻褄を合わせようとします。例えば、私の場合、上記の観念がありましたが、「どM観念」は抑えつけられていました。それがまた、どMにとっては心地良いのかもしれませんが^^;

    いや、心地良いワケではありません。何より、それに振り回される私が心地良くありません(´Д⊂ヽ

    どの観念も自らを主張しあっています。抑圧した感情は物質としてのエネルギーです。本来消滅すべきエネルギーなのに、消滅できず心の中に閉じ込められています。この感情達は出て行きたくて頭に立ち上ってきます。それが思考=思い癖を作り出します。

    ちょっとややこしいのですが、その矛盾した観念に辻褄を合わせようとする思考もエゴの観念なので開放されたがっています。この観念は、抑圧した感情のラスボス(と勝手に名付けた)の「自他の分離感」でした。私が感情を開放していて気づいたんですが、これは最も自己に近い場所にいて「今まで自分だと思っていた」観念でした。

    エゴが勝手に「私」を作り上げ、その「私」の観念で「自己」は覆い隠されていたような感覚です。自己はエゴが作り上げた「私」とは全く違います。

    悟りという概念がありますが、その自己の部分が「悟っている」と状態です。もちろん、誰にでもエゴの覆いをとれば、この「悟っている」自己があります。

    「悟り」とか「目覚めた人」が特別なのではなく、皆がエゴの観念に覆い隠されているだけだと私は感じています。

    心の中の基準をエゴのルールではなく「快か不快」かで判断していく癖をつけていくのも、エゴの観念の開放になっていきます。エゴの観念は例外なく「不快」を感じます。

    本来の自己は「何にも束縛されない自由」があります。それから、私がここ最近感じているのが、「その自己がとてつもなく大きい」という事です。

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