フォーカシングという心理療法で抑圧した感情の開放の方法を綴っています
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    与えること
    エゴは自己責任という言葉を勘違いしています。自己責任とは「我慢すること。自分を犠牲にすること。自分を責めること」ではありません。「自由に対する責任」なんです。

    エゴは、自分を蔑ろにしています。何も出来なくて、見栄っ張りで、怖がりな癖に虚勢を張っている子どもです。その動きは全て不自然です。

    「他人に要求」しか出来ません。何かをして貰って当たり前。これがもう不自然なんです。こういう不自然な状態なので、本来のエネルギーが停滞します。逆に言うと停滞しているから、不自然なのですが。

    で、人の本質(命の本質)は、与えることだけなんです。感情の開放で自分を癒す時も、徹底的に自己受容する。与えてやると、「自分から」愛情が返ってくるんですね。

    私は感情が「ありがとう」と言って開放されると、過去の記事に書きましたが、これ「フェルトセンス」の会話と同じで、「対象化した自分」が言っていたんです。何となく感情エネルギーが喋るのかと不思議だったのですが^^;

    で、他人と言うのも全て「対象化した自分」です。自己(真我)の態度が自他の区別を付けないので、エゴ(自我)も実は「他者」の区別はつけられません。

    他人の嫌な面を見て、嫌悪する態度は「自分の嫌な面」そのものなんです。人(現象)は鏡で、自他の区別は付けられません。誰かを責めると言うことは、自分を責めていること。誰かに「要求する」のは自分に要求していること。

    ここで、責任の所在を考えてみました。現状が不満なのは、自分の責任です。自分の責任は育てた親の責任です。無力な子ども時代に親の馬鹿さに合わせていたから、エゴが肥大していった^^; その親を育てた先祖の責任であり、そうならざると得なかった社会の責任です。また、それを作り出している国家の責任です。どんどん大きくなる。

    では、最終的に、どこに責任を求めれば良いかというと、「自分」に戻ります。どんなに「不満」を他所にぶつけようと解消できません。それは「自分」の責任だからです。

    私は、全て「自己の責任」と考えた瞬間、とても自由を感じました。これは、「義務を果たす責任」ではなく、全てを創り出しているのは自分の責任という意味です。

    「他人」と認識したとたん、エゴになります。そして、コントロール出来ない「強大な何か」に感じます。これは状況も同様です。この強大な何かは「両親(それに代わる大人)」です。

    「他人のむかつく行為」をよく観察してみると分かります。全部、エゴが自己にしている行為です。それは「要求」です。

    どうして要求するかというと、ほぼ赤ちゃんの頃の満たされなかった「思い」が残っているだけなんです。エゴは子どもです。

    だから、エゴを癒すには、いっぱい愛して、愛して、愛してあげることしか出来ないんです。人は与えることしか出来ません。

    それは自分が楽しむことです。
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