フォーカシングという心理療法で抑圧した感情の開放の方法を綴っています
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    感情と心の病
    竹槍さんからのコメントがあり、「統合失調症」という事に関して、この記事を書かせていただきます。やはり私の体験は特殊だし、以前の私だったら「?」という状態だと思います。そして私自身は「統合失調症」という病気は視野に入れないで記事を書いてきました。理由は後述します。そして、もし私の推測が統合失調症の方に当てはまるのなら、抑圧した感情を解放することで治癒の可能性があることを是非知って頂きたいと思っています。

    コメントにも書きましたが、邪気がマインドトークをしていると分かったとき、自分が「統合失調症」なのではないかと、随分心配しました。また守護霊さんとのやり取りもその症状ではないかと同じく思ったんですね。

    ただ、単に妄想とは思えない現象がたくさんありまして(特に守護霊さんとのやり取り)、今は安心しています。あくまで私の経験したことなので、私にとっての事実の世界です^^;

    感情の解放前の私の神経症の症状は被害妄想が非常に強く、妄想性人格障害回避性人格障害を疑いました。

    医師は抑うつ神経症、強迫性障害と診断しましたが…

    私は所謂、被害妄想が非常に強いタイプでした。「誰かに危害を加えらるのではないか」「何か悪いことが起きるかもしれない」という妄想がありました。頭では「そんな事はない」と分かっていても、感情には抗えません。

    それが、感情の開放と共に消失していきました。原因は子どもの頃の苛めからくる「恐怖の感情」でした。そして邪気のマインドトークと被害妄想は感情を解放するに連れて消失していきました。今までの自動思考(心のお喋り)は邪気が原因だったんだと、私は思っています。

    というのも、殆どのトラウマを開放した今、「マインドトーク」が全くないんです。マインドトークの原因は邪気以外にも、私自身を嫌っているタイプのフェルトセンス等、溜め込んだネガティブな感情からくる観念が原因のようです。

    そして、書くのを躊躇していたのですが、統合失調症も抑圧した感情や邪気が原因じゃないかと思っていました。躊躇した理由は、私が専門家ではないので下手な事が言えないことがひとつと、私の経験以上の事は書けないのがひとつでした。

    今、現在では感情の開放と共に、被害妄想もマインドトークもない状態です。

    私がこのブログを起ち上げた理由のひとつは同じような病に苦しんでいる方へ、感情を解放することで自分を苦しめていた症状が消失することを知って頂きたいことがあります。

    もちろん、精神疾患ではなくとも生き辛さを感じている方へも、苦しみが無くなり、本来は幸せな状態にあるということを伝えたいからでした。

    エゴ自体が「妄想」で人を突き動かしています。その「妄想から不安や恐怖」が生まれます。本当はそんなことは起こらないのに、です。

    その束縛を解く方法として、私は「感情の開放」というアプローチから、皆さんにラクに幸せになる方法をお伝えしていきたいと思っています。
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    <<フォーカシングの初期の段階 | フォーカシングで知った心の世界 | 邪気と感情>>
    この記事のコメント
    統合失調症の“原因”のひとつに、“不健全”な人間関係等が原因で“健全なエゴ”が発達しない、というものがあると言われている。エゴとはつまり自分と自分以外を区別する壁のことである。
    統合失調症に限らず、いわゆる“精神疾患”を“患う”ひとは、“社会通念上”“健全”といわれている“ルール”から逸脱する。このため社会との軋轢が起こり、“病気”と診断される、あるいは自分や周囲を“狂っている”と判断する。すべての精神疾患は“関係性のもの”“社会的なもの”であると言われるのはこのためである。つまり社会がルールに固執しないところに精神病は現れない。だれもそれを病気だとか狂気だとか判断しないからである。
    そしてこのルールにのっとった過剰な判断の構図は患者の心のなかに投影される。“不完全なエゴを裁く完全なエゴ=スーパーエゴ”というかたちで。
    http://www.youtube.com/watch?v=XKnFtM_OFRw

    なお、瞑想や悟り等の方法はエゴを強化することで社会に適応させようとするのではなく、エゴを破壊することで社会を破壊しようとするこころみである。
    途中、精神疾患を疑うことはなんの疑問でもない。
    しかし本当に患っているのは社会の方である。社会とは集合意識内にある“ごみ”であるエゴが“投影する幻覚”、つまり集団的な妄想である。

    社会も悟ることができる。
    2011-03-11 Fri 12:51 | URL | #-[ 内容変更]
    これは家族という小社会の中でも起こりうる事ですよね。今の社会の構造が生き辛さを作っていると、最近になって痛感しています。社会の”常識”、観念、その大元に「自他の分離感」があると感じています。そして「自分の物」という観念から物々交換の仕組みが出来る。私はある時、「与えればいいんだ」と気づき、この社会の仕組みにゾッとした事がありました。全てのものは「そこに在るだけ」です。それに着色しているのはエゴ(観念)です。様々な歪みの大元がこの「分離感」にあると思うのですが…

    >社会も悟ることができる。

    この言葉、すごく感動しました。ありがとう!
    2011-03-11 Fri 13:09 | URL | うみ #-[ 内容変更]
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